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佐藤 優

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芸術工学会2012年度秋期大会|2012.12.10

芸術工学会2012年度秋期大会が12月8日にバウハウスゆかりの東京造形大学で開催された。企画セッション「日本のデザイン教育の歴史と未来」で、芸術工学のはじまりについて触れ、次のような発表を行った(要旨)。

 1968年に九州芸術工科大学が福岡に創設された。九州芸術工科大学の理念には「技術を人間生活に適切に利用するために、技術の基盤である科学と人間精神の最も自由な発現である芸術とを総合し、技術の進路を計画し、その機能の設計について研究するとともに、人文、社会、自然にまたがる知識と芸術的感性を基盤とする設計家を養成することを目的とする」と謳われている。当時の日本は、公害問題が露呈し、世界からは「ものまね」と揶揄されていた。
 創設に先立つ1964年に開催された国立産業芸術大学(仮称)の設置に関する会議の第3回会議では、「現在、社会的にデザインを必要とする部門(例えば道路、公園等)にはほとんどデザイナーが存在せず・・」という指摘や、「デザインをコントロールできるディレクターが公共の場でも会社でも欲しい」という意見があった。第4回会議では、関口勲主査(当時東京家政学院大学学長)が次のようにまとめている。「・・単なる職人教育ではなく、一般教養を身につけたマネジメントのできる人材の養成・・」とし、「科学技術と芸術はそれ自体異質であっても産業芸術という新しい一つの分野に統合さるという考え方もある」と、戦後はじめての基盤のない新しい大学の存在意義を説明している。
 1967年5月19日の国会文教委員会では、関口が検討の経過を説明し、今道友信当時東京大学助教授が参考人として「・・九州芸術工科大学の教育研究内容は、総合的・中間領域的な関連分野の教育研究の基盤を持つ総合大学によってのみ可能・・」と意見を述べていることが、九州大学と統合した現在の姿と重ね合わせて興味深い。
 小池新二は、委員として参加し、設立準備室の室長を務め、初代学長になった。小池はバウハウスの教育方法を疑問視しながらも、「・・バウハウスの教育学的思想から抽象することができる原理・・」を踏み台にしようとしている。さらに「従来のartから出発したデザイン教育から脱皮して、university levelに新たに登場したわれわれの『設計教育』は以上の点から考えても、教官中心のspecialistを打破し、discipline相互の関連を重視する極めてflexibleな構成を目指さなければならない・・」と締めくくっている。
 その後、第2代太田博太郎学長が1977年に大学院修士課程を設置。第3代吉武泰水学長は創設当初から陰に陽に芸術工学を支え、さらに退職して神戸芸術工科大学をつくり、1992年に芸術工学会を創設している。第4代安藤由典学長の1993年には、大学院芸術工学研究科博士課程を設置するに至った。学内の教員は、厳しく対立しながらもそれを糧にしてお互いを高めてきた。創設以来25年を経て学問分野として自立し、しかも教員全員参加の積み上げ式の博士課程とした意義は大きい。第4代吉田將学長の時に九州大学との統合協議をはじめ、第5代滝山龍三学長の2003年10月に九州大学と統合し、九州大学大学院芸術工学研究院(教員組織)、大学院芸術工学府(大学院)、芸術工学部(学部)となった。

コーディネーター
 森山明子(武蔵野美術大学教授)
パネリスト
 齋木崇人(神戸芸術工科大学長)
 佐藤 優(九州大学副学長)
 諏訪敦彦(東京造形大学長)



Last-modified: 2017-05-27 (土) 18:49:53 (387d)