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論文/戦後10年間の日本における家庭用洗濯機とその製品色 のバックアップ(No.2)


戦後10年間の日本における
家庭用洗濯機とその製品色

20 世紀の日本における主要工業製品色の変遷(3)

伊藤 潤
The colors of washing machines in Japan during the post WWII decade.
ーthe change in the color of major products in Japan in 20th century (3)
Jun Ito
(受付:2020/6/11 採用:2020/8/28)

要約

 本稿は20世紀の日本における主要な工業製品の色の変遷についての一連の研究の第三報である。
 洗濯機における“white goods” の受容過程を明らかにすることを目的とし,第二次世界大戦後の10 年間,1946(昭和21)年から1955(昭和30)年を対象期間とし,その間の洗濯機の製品色の変遷についてメーカー資料と各種文献を調査した。
 まず戦後の進駐軍家族住宅(DH 住宅)向けの納入機の製品色について調査を行った。東京芝浦電気,國森製作所,神戸製鋼所の納入機は,戦前の芝浦マツダ工業の「ソーラーD型」を元にしたと考えられるが,過半数を占める國森製作所の納入機の製品色は白色であった可能性が高く,日立製作所の納入機も白色と推定された。また,従来DH 住宅への家電製品の納入は打ち切られたと表現されることが多かったが,少なくとも洗濯機に関してはGHQ からの当初の要求量より多く発注されたことを明らかにした。
 続いてメーカー各社の製品について調査を行った。戦後最初期は洗濯機製造を行っていたのは東京芝浦電気のみであり,戦前と同じ機種名の撹拌式のものを製造していたが,その製品色は判明しなかった。その後,DH 住宅向け納入機納入の後,年間生産台数が2,000 台を超える1950(昭和25)年頃からメーカー各社も洗濯機を発売するようになり,撹拌式以外の形式を採用するメーカーも現れたが,いずれも製品色は白であった。各社の2号機ならびにその後に発売された洗濯機もほとんどが白色,あるいは白色と推定され,戦後10 年間で製品色が有彩色と確認できたのは東京芝浦電気の一機種のみであった。
 戦前には白色と確認できた洗濯機がほとんど存在しないのに対し,戦後の洗濯機の製品色は一転して白色となった。既報では「連合軍住宅向けの納入品が民生用に転用されたことで日本に“white goods”が移植された」と結論付けたが,洗濯機での事例を見ると,DH住宅向け納入機は“white goods”的な概念をもたらし,DH住宅向け納入機を受注していないメーカーの製品色決定にも影響を及ぼしたと言える。