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論文/神戸洋家具産業の・3 の変更点


#author("2017-05-27T11:36:38+02:00","default:inoue.ko","inoue.ko")
*神戸洋家具産業の復興期から競争期までの特徴
***〜 第二次世界大戦後から昭和末期まで 〜
***佐野浩三
The Characteristics from the Reconstruction Stage until the Competition Stage in the Kobe Western-Style Furniture Industry:From after WWII until the Latter Showa-Period
SANO Hirozo
受理:2017/4/17, 採用決定:2017/5/25 【プロダクトデザイン】
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***要約
これまでの研究では、神戸洋家具産業の発祥から第二次世界大戦前までを4 期に仮設区分し、産業実態の調査分析を進めてきた。本稿では、終戦から昭和末期までを調査・分析の対象とし、戦前との比較から産業実態の変容を明らかにした。
 神戸圏は、昭和20(1945)年の大空襲によって焦土と化し、洋家具産業も壊滅状態となった。神戸洋家具産業の戦後の再出発は、他の産地と同様に連合軍家族用住宅(DEPENNDENTS HOUSING)の家具什器(以下DH 家具)の生産割り当てによる特需が起点となる。しかし、他の洋家具産業の多くがDH 家具の生産指導によって移植された量産型既製家具生産の方式に沿った技術を取り入れ新しく稼働したのに対して、神戸洋家具産業の中心的な事業者は、戦前の手作業中心で少量受注生産の技術を継承し再出発を果たした。戦後は、明治初期から継続する「永田良介商店」と昭和15(1940)年に「眞木製作所」から独立した「不二屋」が業界の牽引者であり、戦災を受けながらも戦後数年で再出発を果たしている。
 昭和30 年代以降の高度経済成長期には、西洋式の生活様式が一般にも普及することで洋家具市場は大きく成長し時代の影響を受けながらも、開国以来の伝統を受け継ぐ手作りの受注高級家具として市場での位置を確保した。神戸洋家具産業は、DH 家具の技術指導を契機に発展した量産型既製家具の生産地とは一線を画しながらも、市場競争力の強化と工場環境の改善を目的に昭和40(1965)年には業界の約1/3 の洋家具企業38 社が工場の集団化による効率化を図る生産拠点として「団地協同組合神戸木工センター」を編成した。生産高は、組合結成時から約15 年で6 倍以上(物価変動を考慮すれば3.5 倍)に伸長し、収益面で成果を収めている。
 市場需要に対する効率的な対応によって、事業者間の商品展開は均質化が進み、創造的な製作よりも戦前の神戸洋家具や欧州の家具意匠の模倣製作や応用製作を中心的とした生産体制となっている。事業化の経緯は市場需要を見越した供給量確保のための効率的な経営視点が主導し、昭和末期には情報発信、後継者の育成、新製品の開発が課題 となっている。
 本論では、これらの戦後の事業実態と展開について調査・分析し、戦前との比較・考察をとおして戦後の事業化の経緯を明らかにした。

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