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論文/戦前の日本における家庭用洗濯機・・

戦前の日本における家庭用洗濯機とその製品色

− 20 世紀の日本における主要工業製品色の変遷(2)

伊藤潤

The colors of washing machines in Japan before WWII
− the change in the color of major products in Japan in 20th century (2)
ITO Jun
受理:2017/8/30, 採用決定:2017/09/15【プロダクトデザイン】

【要約】

本稿は20世紀の日本における主要な工業製品の色の変遷についての一連の研究の第二報である。洗濯機は「白物家電」を代表する製品であり,「三種の神器」のひとつにも挙げられ,第二次世界大戦後の日本の復興,発展を象徴するものだが,そのはじまりは多くの家電製品同様に海外からの導入による。従来,1922(大正11)年に三井物産が米国より『Thor(ソアー)』円筒型電気洗濯機の輸入販売を開始したのが初の事例だとされてきた。また,国産の電気洗濯機第一号については,1932(昭和7)年に東芝の前身である芝浦製作所が,米国ソアー社からの技術導入により『ソーラーA型』の商標で開発,発売を開始したものだとされてきていたが,工正舎が1924(大正13)年2月に特許出願した「日比式小型自働洗濯機」の存在が指摘されるなど,情報が混乱していた。そのため,輸入第一号,国産第一号について,再検証を試みた。『朝日新聞』『讀賣新聞』2紙の広告,東芝の前身企業のひとつである東京電氣の機関誌『マツダ新報』,業界誌『電氣之友』(電友社)の調査により,輸入第一号,国産第一号ともに従来の説よりも早い年代のものが確認された。1913(大正2)年には日本電気と三井物産によって電気洗濯機がそれぞれ輸入されていたと考えられ,また国産第一号は能川製作所によって1921(大正10)年に製造されたものである可能性が高いことが明らかとなった。第二次世界大戦以前の日本における洗濯機の色彩を,輸入された電気洗濯機,国産の手動式洗濯機,国産の電気洗濯機それぞれについて調査した。輸入された電気洗濯機は鉄や銅の素材色に加えて緑色を中心とした着色が施されていた。国産の手動式洗濯機については詳細な情報は得られなかった。国産の電気洗濯機については,芝浦製作所の「ソーラー」のうち,初号機の「A型」,「普及型」と位置付けられた「C型」および「E型」が緑色(鶯色)であった。また,芝浦マツダ工業の「芝浦電氣洗濯機」の「B型」および「K型」は灰黄色,「D型」は青色であった。以上をまとめると,洗濯槽が琺瑯製の機種や塗装が施された機種では緑色を中心とした有彩色が多用されており,それらは米国からの輸入品に倣った可能性が高いと考えられた。また,白色の塗装が施されたと確認されるものは管見の限りごく一部の輸入品だけであった。



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Last-modified: 2020-04-10 (金) 10:59:28